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衆院内閣委員会@沖縄-その5与那国島パート2 -

 与那国島といえば、有名なのは「海底遺跡」です。衆院内閣委員会の理事会メンバーによる沖縄出張、3日目の6月25日に、西崎展望台から日本最西端の広大な海を臨んだ次の行程は、同島の久部良(くぶら)港から船に乗り、船底のガラス越しに、この海底遺跡を視察することでした。

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「どこまでも広がる美しい海、与那国島西崎展望台より」

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「海底遺跡視察へ」 

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「最初は船上で」

 この海底遺跡とは、人工的に加工されたのではないかと思わせる海底の巨石群のことで、自然地形なのか、人工的な遺跡なのかについて論争があります。もともとは、1986年にダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見されたもので、この一枚岩は周囲数百メートルに及ぶ巨大なものです。人工的に切り出したような跡や、人が歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないような形状を備えているため、遺跡ではないかとされているものです。

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「海底遺跡の地図」

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「こうして船底から下方を臨む」

 沖縄県内の学者による調査も行われましたが、人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、遺跡として正式に認定されるには至っていません。「遺跡ポイント」と呼ばれるダイビング・スポットとして、与那国島の貴重な観光資源になっています。
 「遺跡説」は、道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される形状があること、クサビを打ち込んだような20cm-30cm間隔で並ぶ竪穴跡があり、侵食で形成される形ではないこと、周囲を壁面で囲まれた平面は侵食によっては形成されないこと、テラス状の地形は左右対称であることなどを根拠に挙げているそうです。
 さらに、ロマンを感じさせてくれるのが、かつて古代文明がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説です。水没したのは前回の氷河期が終わって海面が上昇したときであり、1万年以上前の世界最古の古代遺跡だという説が唱えられているようです。
 古代文明の遺跡ではなく、比較的新しい時代の遺跡だという説もあるそうです。採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、10世紀後半から11世紀前半にかけての時代であるというのが、近年の琉球大学による調査結果だそうですが、その客観的検証は困難なようです。
 遺跡であることを否定するのが、自然地形説です。岩が侵食されてできたものであるという説で、この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できるという考え方です。例えば、階段状部分の高さがそろっておらず、高い所では1段当たり1m以上もあることなどは、人工の構造物ではなく節理による自然地形であることを裏付けているとしています。

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

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「海底遺跡」

 どの説が正しいかは別として、海底に屹立、あるいは横たわる巨大な岩や石が人工状に並ぶ姿を船底から見つめていると、まるで別世界です。ただ、波に揺られる船の底で下方をじっと臨み続けると、船酔いしそうになります。私たち一行の中にも、本当に船酔いをしてしまった議員が何人か出ました。
 ひととおり「海底遺跡」を楽しんだあと、船上の甲板に出てみると、一行のうちかなりの数の議員が途中でリタイアして甲板で休んでいる姿がありました。私も船尾に立って美しい与那国島を眺めていたところ、「これから船は島を一周します」とのアナウンス。これを聞いて、途方に暮れた議員もいたようです。
 与那国島を一周するには1時間ほど要しましたが、これが数時間続けばきついと、私も感じました。石垣島から船で9時間ぐらいかけて尖閣諸島に行った方の話を聞きますが、船に弱い方にとっては地獄かもしれません。海は容易なものではないと実感しながら、この与那国島、日本の西の果ての海と島が織りなす美しい風景を堪能させていただきました。どこかの映画で見た、無人島に流された人々がそこで生活を始めるストーリー、ここで撮影したのかと思わせる島の光景でした。海にそそり立つ断崖の上は、のどかな牧場、肉用牛飼養頭数が人口よりも多いのが与那国島です。

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「与那国島一周」

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「島の上は牧場」

 海底遺跡視察のあと、一部、依然として船酔い状態から抜けないメンバーを含む私たち一行は、前回ご報告したように、長命草施設と町営学習塾を視察、その道すがら、村落や自然環境や農業、生活事情など、お話をうかがいながら、与那国島の様子をバスで見させていただきました。
 さて、ここ与那国島では、防衛省が本年4月に、基地建設に着手しました。1972年の沖縄返還以降、沖縄県に自衛隊の基地を新設するのは初めてのことで、東シナ海で海空両面にわたり中国との緊張が高まる中にあって、従来よりもさらに西域に監視部隊を置き、南西諸島の防衛を強化することが目的です。島の中心地にレーダーを設置し、約100人の沿岸警備部隊と約50人の後方支援部隊を駐留させて、付近を航行する艦船と航空機を監視することとなっており、来年末までに運用を開始する予定です。台湾から110kmの与那国島は尖閣諸島から南へ約150kmの位置にありますが、国境にありながら、これまでは警察官2人が駐在するだけでした。南西地域の自衛隊の空白を埋める意味は大きいとされています。
 私たち内閣委員会は、この基地については駐屯予定地の南牧場を通過しただけで、視察はしませんでしたが、ほとんど同じ日程で衆院安全保障委員会が与那国島を視察のため来島していました。

 最後に、アイランドホテルに戻り、外間守吉・町長、町議会副議長など、与那国町関係者の方々との昼食懇談会に臨みました。これも地元特産の美味な料理を堪能しながら、我々衆院内閣委員会の委員長以下、与那国島の直面している課題など、町側と率直な意見交換ができました。近年、石垣島や西表島など、八重山諸島は中国関係者による土地等不動産の取得が進み、国防上の観点から問題視されていますが、与那国島についてはまだ、そのような動きは見られないというのが町長のお答えでした。

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「与那国町長外との懇談会、柴山委員長による冒頭あいさつ」

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「外間町長ご挨拶」

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「意見交換」

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「最後まで地元の料理を堪能させていただきました」
 
 昼食懇談会を終えて、私たち一行は再びプロペラ機で与那国島をあとに石垣空港に到着、一路、羽田に向かいました。私の場合、東京では翌日の6月26日、石原新党の党名決定が待っていました。
 本報告の最後に改めて、今回の視察議員メンバーの写真(与那国島の西崎展望台にて)を掲載させていただきます。左から、平将明・理事(自民党)、西川公也・自民党筆頭理事、高木美智代・理事(公明党)、柴山昌彦・内閣委員長(自民党)、近藤洋介・理事(民主党)、大熊利昭議員(みんなの党)、畑浩治議員(生活の党)、私(日本維新の会理事)、平井卓也理事(自民党)、橘慶一郎・理事(自民党)です(以上のほか、共産党の赤嶺政賢議員も参加されました)。
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 以上、5回にわたり、衆院内閣委員会理事会メンバーによる沖縄視察出張についてご報告させていただきました。その後、私は翌日に党名が決定された「次世代の党」の活動へと入っていくことになります。
 振り返ってみれば、日本維新の会国会議員団の沖縄PTの座長として4回、内閣委員会の理事として昨年9月と今回で2回と、ここ1年余りの間に沖縄に6回にわたり、出張をさせていただきました。維新については分党したとはいえ、少なくとも次世代の党では沖縄政策の基本スタンスは不変ですので、できれば新体制のもとで、両党合同で沖縄プロジェクトを継続していくなど、今後とも、沖縄の課題解決と日本や東アジアにおける沖縄地域の将来展望の形成に向けて、微力を尽くしていきたいと考えております。

(本年6月の衆院内閣委員会沖縄視察シリーズは、今回の「その5」をもって終了いたします。)

その1「沖縄本島にて沖縄全戦没者追悼式に出席」については、こちらをご覧ください。

その2「石垣島パート1」については、こちらをご覧ください。

その3「石垣島パート2」については、こちらをご覧ください。

その4「与那国島パート1については、こちらをご覧ください。
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Author:matsuda-manabu
松田政策研究所は、松田学を中心とした講師・研究員が、これからの日本の未来に関する国家像や社会の在り様について総合的な調査・研究 を行い、夢を持てる国づくりの基盤を創り、社会と国家の発展に寄与するのが目的です。

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